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債務は不良債権となり、銀行貸出が減少し、さらに九二八年に入ると、株式市場の過熱と金の流出を抑えるために、政策を引き締め基調に転換した。 この政策により、二九年一○月の株価暴落や経済の縮小が始まったが、緩和政策はとられなかった。
三○年末になると、破綻する銀行が出はじめ、ニニ年夏には銀行破綻が高水準に達して、いわゆる銀行恐慌が発生した。 しかし、米連邦準備理事会はなお政策の基調を変えなかった。
このころになると、アメリカがドルを金に対して引き下げるのではないかという思惑から、大量の金が流出した。 これに対して、連銀は、三一年九月、ドル価値の維持のために引き締めを行い、利子率の急上昇が起こった。
卸売物価が年率で三%下落するなかで、三二年には金利(Bbb格付けの社債)は二%にまで上昇した。 不況のさなか、実質金利は二○%以上にもなったということである。
ニ三年に入ると、米連邦準備理事会は緩和政策を試みた時期もあったが徹底しなかった。 このような金融政策の結果、マネーサプライはニ九年第3四半期から三三年第2四半期までに三五%も縮小した。
卸売物価は三七%下落し、実質GNPも三六%低下した。 しかし、三三年に入ってようやく緩和の動きを見せるようになり、同年四月に金本位制を停止して本格的な金融緩和に転換した。
金融システムが崩壊し、マネーサプライが減少する。 マネーサプライの減少はさらに物価を引き下げるという循環が起こる。

この過程に、さらに債務が絡んでくる。 銀行から債務返済を求められた企業は、自分の生産物や資産を売り払ってなんとかキャッシュをつくろうとする。
資産価格が低下するだけでなく、生産物の価格も低下する。 フローの価格が下がれば、ストックの価格も下がる。
債務の返済を迫られる企業は、資産を売却し、その生産物を処分して、キャッシュを生みだすために必死の努力を続ける。 これは、さらに資産価格と生産物の価格を低下させることとなる。
デットデフレーションである。 関係している。
三○年末からの銀行破綻は公衆の銀行への信頼を低下させて、人々の現金保有を高めるとともに、銀行をより慎重にして貸出を抑制させた。 これまでと同じような金融政策を行っていたのでは、マネーサプライが縮小するような事態に陥ったのである。
銀行破綻の増加は、確かに、マネーサプライの減少や信用仲介コストの上昇を介して、経済に強い縮小圧力をかけた。 しかし、銀行貸出がM2の増加やGNPの上昇にとって不可欠であるならば、大恐慌からの回復は、銀行が回復し、あるいは信用仲介コストが正常化し、銀行貸出が増加してマネーサプライが増加するという過程によってもたらされたはずである。
ところが、実質GNPとマネーサプライ(M2)は三二一年第1四半期をボトムとして回復に向かったが、銀行貸出は三五年まで減少し続け、その後も大きく増加したわけではなかった。 ここから、銀行貸出の増加はマネーサプライの増加にとっても、GNPの上昇にとっても必要条件ではなかったことがわかる。

銀行破綻の増加は、確かに大恐慌の主因であるマネーサプライの減少をもたらした大きな要因である。 アメリカの中央銀行であるFRBは、最後の貸し手として銀行破綻回避にもっと積極的な役割を果たすべきであり、また、人々の現金需要の高まりに対応して、より積極的な金融緩和をすべきであった。
このどちらかの政策が採られていれば、マネーサプライの大幅な減少は防ぐことができただろうし、大不況もあれほどひどくはならなかっただろう。 なぜFRBは十分な緩和策を採らなかったのかここで当然の疑問が生じる。
アメリカの大恐慌がマネーの縮小によって起きたのなら、なぜFRBはマネーを拡大しようとしなかったのか。 大恐慌の謎を解く鍵は、なぜFRBが十分な緩和政策を採らなかったかを明らかにすることにある。
カリフォルニア大学バークレイ校のB・A教授は、各国の金融当局が金本位制に固執したことが大恐慌の本質的な原因であると論じ、大恐慌の本質的な原因は金本位制の足伽であるとするのが定説となっている。 この時期のアメリカの金準備は豊富であった。
しかし、三一年九月にイギリスが金本位制を離脱した際、アメリカでは金の流出圧力が高まったが、金本位制の下、FRBはこれを抑えるために引き締め政策を採った。 大恐慌期のアメリカではマネーサプライが急激に減少し、景気が急速に悪化していったにもかかわらず、FRBは十分な緩和政策を採らなかったが、それはこのような金本位制の足柳があったことによる。
金本位制への固執が大恐慌をもたらしたことは明らかである、金本位制から離脱した時期と鉱工業生産の関係を示したものである。 図に見るように、金本位制から早期に離脱した国ほど生産の回復が早くなっている。
日本は一九三一年二一月に金本位制から離脱し(第Uのグループに属する)、生産の回復も早い国であった。 以上述べたように、大恐慌は金の足伽によって起こったというのが、現在のアメリカ経済学界の主流の意見である。

しかし、それ以外、またはそれを補完する意見もある。 三○年代の金融政策の誤りの要因としては、さらに金利の低いことを、連銀が金融緩和の証拠だと考えていたことも挙げられよう。
一九三○年夏に、各地区の連銀の総裁たちは、「現行の異常に低い金利をさらに下げることは愚かなことである」。 「信用は安くて豊富に供給されているので、これ以上信用を安く豊富にしても景気回復が加速するとは信じられない」。
「生産過剰をさらに促し、他方では借入を容易にし消費を増加させる刺激的な金融政策の危険性」を指摘していた。 彼らがこう判断した根拠は、名目金利が大恐慌前の六%か財政政策が犯人なのか恐慌を悪化きせ、大恐慌にしたのは財政政策であるという議論もある。
しかし、多くの人々の思い込みに反して、実質政府支出は、三一年央まで増加している。 その後三三年央まで減少しているが、実質政府支出の対実質GNP比は、GNPが減少したことによって増加している。
対実質GNP比は、実質GNPのピークである二九年第3四半期には三・七%であったが、実質GNPのボトムである三三年第1四半期にはニ○・六%まで増加している。 三%へと低下していたことである。
しかし、物価下落の中での多少の名目金利の低下は、金融緩和の証拠とはならない。 一九三○年の卸売物価の下落率は一○%であり、実質金利は一三%へと急上昇していたのであるから。
さらにシーとローマーは、金本位制への固執が大恐慌の世界的伝播をもたらしたことを認めつつ、大恐慌の中心であるアメリカの金融緊縮政策は、金本位制ともかかわりなく、当時のFRB首脳の誤った認識や金融政策の効果についての無理解によってなされた可能性を指摘している。 当時のFRBの首脳は、「市中銀行の超過準備状況から判断して金融は十分緩和している」「金融緩和によりデフレスパイラルは食い止められた」といった認識があったという。
なお、この論文の共著者のK・R女史は、O政権の大統領経済諮問委員会議長である。 B議長とR議長と、アメリカは二人の大恐慌専門家を経済政策の要職に持ったことになる。
この間、実質政府支出はGNPを七・九%下支えしていたことになる。

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